絵本作家のミヤタタカシさんは、広島のローカル交通安全看板「まもりっこ」をモチーフにした作品を皮切りに、最近は黒一色の絵本を手掛け、ボローニャ国際絵本原画展に入選を果たすなど活躍の幅を広げています。創作の背景と、絵本というメディアの魅力と奥深さについて伺いました。
「まもりっこ」シリーズは3冊の絵本になっていますが、1枚1枚の絵も個性が際立っていておもしろいですよね。
実は当初から絵本や作品にするつもりで作り始めたものではないんです。
「まもりっこ」の絵を描く以前に、「まもりっこ」をモチーフにしたブローチを個人的に作っていた友人がいまして、とても面白い試みだと思ったので、一緒に手伝っていました。せっかくだからオフィシャルな関係を作ろうと、企画元に取材して紹介冊子を制作する際、わたしも「まもりっこ」の絵を何枚か描いてみたのがこの作品のそもそもの始まりです。その後発展していくうちに絵の数が増えて作品群になり、絵本のシリーズにまで展開していきました。
もうひとつ、この作品群を着想するきっかけがありました。ある日、自分の子どもが通う保育園に参観日で訪れた際、保育士さんが子どもたちに質問をしていました。保育士さんが「戦争は好きですか?」と聞くと、子どもたちは従順に大きな声で「きらい!」と答えていました。ただそれを見ていて、答えがほとんど決まっているその質問に少し違和感を感じたんです。
「まもりっこ」も手を挙げていますが、それが本人の意思ではないように思えたんです。本来子どもはもっと反抗的なのに、先生の顔色をうかがって行動してしまうところが「まもりっこ」と重なって見えたんです。変な意味の抑圧から「まもりっこ」を解放する、と考えるといろんな展開ができました。
交差点の片隅で片手をあげる園児の看板は広島市近郊を中心に数百台が設置されているが、広島以外ではほとんどお目にかかることはないご当地看板。「日静企画」が展開・維持管理している。 広島県立美術館前の横断歩道。
風刺性あふれる作品コンセプトですよね。
でもあんまり教育批判だとか、社会の問題をあぶりだしてやろうという思いはないんですよ。日常の中で感じた素朴な疑問を、作品の要素としてちょっと含める程度のつもりです。
そういえば、ボローニャ国際絵本原画展⼊選されたそうですね、おめでとうございます!
ありがとうございます。5冊⽬の絵本「迷⼦のうさぎ」が⼊選した作品です。ボローニャ国際絵本原画展の展示期間中、現地で審査員に絵の講評をしていただいたり、絵本の内容を読んでもらって感想を聞くことができました。
街の中に突然大きなうさぎが現れるシーンは特に面白がってもらえました。うさぎの表情とあいまって不安や、気が狂いそうな雰囲気が出ていると言っていただきました。
「迷子のうさぎ」
イラスト、ストーリー : ミヤタタカシ
画材 : フェルトペン
2018
これまでの作品になにか通底しているものはありますか?
個人的な経験の中から、他者も持っている「共通のなつかしさ」を扱いたいという思いはずっとあります。子どもって場所を選ばずすぐ裸足になって、遊びたがりますよね。「ああ、むかしはそんなことしてたなあ」という感覚を作品を読んだ人が思い出せるような表現をしたいというのがテーマです。歴史的文化的な背景がちがう人たちどうしでも、なにか通じるものがあると思うんです。
絵本のいいところを教えてください。
映像に携わることは学生時代や卒業後の業務でもあったので、場面と展開で発想するのは考え方として自然でした。
絵本だと、多少ハチャメチャで破壊的な設定でも許されてしまいます。急に爆発してもいいし、現実にはあり得ない大きさのウサギが登場しても、地球がかじられてもよい、懐の深さがあるんです。
絵と作品はどういう順番で作っていくんですか?
制作の流れとしては、1枚の絵を描いて、それにストーリーを肉付けして膨らませる流れが多いです。「大きな家の小さなおおかみ」の場合は、表紙絵をいちばん最初に描いて、そこから物語を展開しました。物語が先に完成していて、それに絵を描きながら調整する場合もあります。
「大きな家の小さなおおかみ」
イラスト、ストーリー : ミヤタタカシ
画材 : フェルトペン
2018
フェルトペンで描くことにこだわりがあるんですか?
たしかにフェルトペンを使う作品が増えているんですが、まもりっこシリーズには水彩絵の具も使っていますし、こだわりというほどではありません。筆跡や色むらを残せるのもあるんですけど、単純に筆よりも描きやすいというだけです。アナログ感のあるテイストが得意で、描くだけでなく、切り絵を組み合わせることもあります。
少ない色数で表現することは意識していて、まもりっこシリーズも3-4色程度で構成しています。とくに最近は黒1色でどこまで表現できるか挑戦しています。