花とボクサー、風刺とわかりやすさ/辻孝文インタビュー

インパクトあるモチーフを重層的に繰り返し、絵画のなかに独自の世界観を描きあげている辻孝文。背景にある考え方について伺いました。


最近のテーマなどあれば教えてください。

花とボクサー、そして骸骨が最近のモチーフの中心です。 ボクサーはキャラクターとしてはもう10年くらい、それこそ20代前半のころから描いているんですけど、そのころから感じていることは、やっぱりみんな戦っているじゃないですか、それぞれに、仮面をかぶって。これはそういう生き方を若干皮肉ったようなキャラクターです。

もうひとつ花のモチーフは、花というのはふつうは生命の象徴であったりすると思うんですけど、シモの隠喩もあったりしますよね。生をポップに表現したいというか、花まみれと同時にシモまみれであるような、そんなことをわかりやすくストレートに表現した作品シリーズです。

辻孝文 no9(2018)

どおりで花に不気味さがあるわけですね。

あとは骸骨のほうは、おばあちゃんが死んだときにいろいろと考えることがあったんですよね。テーマとしては死と生なんですけど、それは二重になっているというよりは、イメージが組み合わさって構成されていると思うんです。そういうことを、骸骨と人間という、象徴的でわかりやすいモチーフを描いて、キャンバスを編み込んで作った作品です。

辻孝文 “before normal starts”(2018)

花とボクサーのテーマと、骸骨と人間の作品シリーズは辻さんの中で関係しているものなんでしょうか?

連動して深めていっているような感じですね。生と死と、それから日本の性と、ふだんメディアを通じて表立って出てこないような裏側、暗い側面のほうが日本の姿なんじゃないかなと思うんです。花があるだけの絵ではあるんですけど、見る人が見たらわかるようなノイズがかかっているんですよね。

日本社会についての風刺的なまなざしのようなものがあると思うんですが、海外のレジデンスに参加された経験も影響しているのでしょうか。

海外には機会を見つけては出ていくようにしています。海外に出ると、日本人としての感覚に気づかされる部分ってあると思うんです。表現をするにあたって、自分の背景を考えなくてはいけないのですが、そんな感覚は日本の中にいてはなかなか気づかない部分でもあるんです。

以前フィンランドのレジデンスプログラムに参加した際にできた友人がヨーロッパ中心に各国にいるので、彼らに会いに行くのもひとつの目的ではあります。その国ごとにアートがどのように受け入れられているのかにも興味をもって見ていますね。フィリピンのアートシーンが最近気になっていて、今度行ってみることにしています。

生と死、さらに性の問題まで含めると、かなりディープで突っ込んだテーマだと思うのですが、絵を描き始め、現在のテーマに至るまでの変遷について教えてください。

生まれは山梨県甲府市で、8歳まで過ごしたあと岡山に引っ越してきて、以来ずっと岡山を拠点にしています。母親が絵画教室をしているので、絵を描くという行為はずっと身近に感じながら育ちました。アーティストとしてのスタートという意味では、19歳のときにとあるコンペに出品したのが最初ですかね。

描く内容については、巨匠の有名作品、例えばミレーの作品を見ても「かっこいいな!」と思うし、それとは全然毛色が違うイラストっぽいようなものも魅力を感じます。バンド音楽だったりクラブミュージックのような、いわゆるサブカル系の趣味は持っているので、両方の影響を受けていると思います。「ボクサー」のシリーズあたりにはもしかするとそれが表れているかもしれないです。

ハイカルチャーとサブカルチャー、生と死というような相反するものについてのお話がありましたけど、表現の中ではどこかライトに共存しているように感じます。

ちょっと話が飛ぶかもしれないんですけど、人生はロールプレイングゲームのようなものだと思っているんです。次はどんなモンスターが出てくるんだろうって思いながら、ひとつずつクリアしていくんですよね。そんな感覚なので、「死」というものに対してどこかほわっとしているというか、楽観的に考えている節はあるんです。

逆に「生」について考えるのは、こうして絵を描いていなかったら決して出会わなかったであろう人たちと交流があると、生の実感があるというか。日常もそういう偶然が組み合わさって形成されているんだなというのを、表現できたらと思っています。


作品の独特のインパクトは、生と死と性という重くなりがちなテーマを軽やかに、かつ少し不気味に描きあげる作風には、どこかひょうひょうとした作者の雰囲気も垣間見える気がします。