鮮やかな色彩でダイナミックな抽象表現の作品が多い有田大貴。 アーティストになったきっかけ、ヨーロッパ滞在で得たもの、現在の作風に至るまでのストーリーを伺いました。
アメリカの大学を卒業されていますが、アーティストとしてのキャリアのスタートを教えてください。
アメリカ南部アラバマ州ジャクソンビルにある州立大学の芸術学部を卒業しているんですけど、専攻は実はグラフィックデザインなんです。そこで素描、写真、美術史など基礎的な美術教育は受ているんですけど、絵画について学んだかといわれると厳密には微妙なところなですね。とくに現代アートについては専門的なことは学んでいなくて、現代アートに興味を持ち始めたのはやはり直島での経験が大きいですね。
現代アートで有名な直島で勤められていたんですよね。
小さい頃から美術館でアート作品を観るのが好きだったんです。なにかアートにかかわることをしたいと見つけたのが直島での仕事でした。仕事内容としては宿泊関係の業務が担当だったので、直接アートマネジメントのようなことに関わる機会はなかったのですが、美術館内で働いて作品解説ツアーを行うなど、多種多様なアート作品に触れながら仕事をしているうちに、アートにどんどんのめり込んでいって、自分も表現したいと思うようになったんです。
創作意欲が湧いてきたんですね。
最初は同僚や先輩の似顔絵だったり、好きなミュージシャンや島の風景を描いたりしていました。それから島内島外の飲食店などから声がかかるようになってきたんです。さらに直島と本土を結ぶ四国汽船のフェリー船内での展示のお話があって、島にアートを求めてやってくる人たちの目に触れることがとても嬉しいことで、だんだんとアーティストとしてやっていく思いを強くしたんです。それでついに2017年に直島での仕事を辞めて、地元広島に戻ってきて、ほどなく初めての個展を横川創苑で開催しました。結構来場者もあり、作品もそれなりに売れたので、すごく自信になったんです。 ただアーティストとしての専門教育を受けたわけではなかったことがすこし引っかかっていて、そこでアートの本場であるヨーロッパに渡りました。ベネチアビエンナーレやドクメンタを見て周り、最新の世界のアートの潮流に触れたあと、ベルリンでレジデンス施設を使いながら4か月間制作を行い、個展を開きました。
ベルリンを選んだのはなにか理由があったんですか?
現代アートの先端地であると聞いていたのと、好きなアーティストにドイツ人が多かったからというのがあります。カタリーナ・グロッセ、アルベルト・ウールン、ゲルハルト・リヒターなどです。
ベルリンでなにか変化はありましたか?
ベルリンで制作中に、自分が広島出身であるという意識を強く持ち始めました。制作中はロック音楽を聴いていることが多いんですけど、歌詞の中に”burn”とか”brake”とか破壊的な単語がよく登場するんですよね。それで実際にキャンバスを燃やしたり壊したりするパフォーマンスのようなことをしたんですけど、ふとそうした破壊的な行為が原爆で破壊されたヒロシマにつながると感じ始めたんです。そこでベルリンの個展ではヒロシマのこともテーマにしようと決めました。それで生まれたのが原爆投下後に降った黒い雨をテーマにした作品でした。
個展の反応はいかがでしたか?
焼いたキャンバスを破壊されたヒロシマと見立て、その横に黒い雨をテーマにしたインスタレーションを展示しました。ただ黒い絵の具で表現するのではなく、自分の髪の毛や動物の骨などを燃やし炭化させてから液体を作り、それをミディアムとして使用しました。ICANなどの組織に前もって声を掛け宣伝したり、ドイツでヒロシマ・ナガサキを追悼するために平和の鐘のイベントを行なっている組織の方が見に来ていました。核使用後の恐怖を知らない人が多くいることを実感して、少しでも核兵器の恐怖を伝えることが出来たのではないかと思いっています。
アメリカの大学を卒業し、海外での展示を経験したことで、なにか表現に特徴や影響をみいだすことはできますか?
アメリカでの経験は、配色に影響があるかもしれないです。例えば、アメリカではすごくカラフルなお菓子を食べたりするんですけど、そういう文化の影響で明度の高い色を使うことが多くなったかもしれないです。ドイツ、とくにベルリンは現代アートが盛んで、たくさん作品を見て回ったんですけど、じつは作品を見たままで完全に理解できないことも多かったんです。ギャラリーには必ずステートメントが置いてあって、そういう経験で作品のコンセプトや説明的なことに意識がいくようになったと思います。
現在の作品のテーマやコンセプトは何ですか?
ドイツ滞在で意識したように、自分のルーツは「ヒロシマ」です。広島は核兵器により破壊された歴史を持ち、草木が生えないと言われながら復興を遂げました。祖父母は被爆者であり、自分もその延長線上に生きています。核兵器の恐怖、戦争がもたらす悲劇は絶対に忘れてはならないと思います。未来永劫にアーティストは「ヒロシマ」へ向き合うべきだと思っていて、ヒロシマの記憶を伝えながら、人間らしく生きることの幸福、生命力、平和への祈りを表現していきたいです。
制作方法についても教えてください
コンセプトを決めてから制作するときと、ゴールを決めずに描くときもあるんです。「ヒロシマ」をテーマにするときは、しっかりとそのコンセプトを決めて制作します。何をテーマにしてどうように伝えるのか、リサーチをして、知人に相談したりして、制作します。抽象画を作っているときは、ゴールを決めずに制作しています。一筆ずつ集中してどんな線を描くか、構図、配色などイメージしながら描きます。
最近は、コンセプトを決めながらも、ゴールを決めずに制作するときもあって、例えば、折り鶴の灰をキャンバスの一層目に塗り、二層目に他の色彩で描くような制作をしています。コンセプトは「死から生へ」、灰を死のシンボルと見立て、その上に色彩を重ねることで生命を表現ています。破壊から再生したヒロシマの歴史、平和への祈りを表現しています。 プロセスベーストアブストラクション(プロセスに基礎を置く抽象主義)といって、表現としては抽象的でありながら、ミディアムに意味を込める表現方法があって、これにあたるのかと思っています。
折り鶴の灰の話がありましたが、そのほかにはどのような素材を使っているんでしょう?
よく使うのは、アクリルや水彩絵の具、スプレー、それから折り鶴の灰ですね。描くときに生命の痕跡としての動作を刻み込みたいので、流動性のあるアクリルや水彩絵の具、手の動きが直接伝わるスプレーを用います。あとは変わったところだと、ろう、砂、スパイスなども使ったことがあります。 折り鶴の灰は、あるお寺から特別に頂いています。世界中から広島へ届く折り鶴がお焚き上げされて灰になったものです。自分はそこにまだ平和への祈りが存在すると信じています。
今後どのような表現をしていきたいですか?
「現代アーティストは、あらゆる感覚に訴える試みが必要である。」とよく聞きます。絵画のみならず立体やインスタレーションなど様々なアプローチで表現していきたいです。絵画だけでも具象物や文字や記号などをモチーフとするなど表現方法は沢山ありますし、色々試していきたいです。
豊富な海外経験から地元広島についての考えを深めている有田大貴。具象、抽象の枠にとらわれずにさまざまな手法に取り組んでいます。生命力あふれる彼の作品の背景に触れ、作品をまた角度から味わうことができれば嬉しいです。彼の今後の活躍が楽しみです!